新学期を迎えたその日。
僕らのクラスに、転校生が来た。
女の子だったが、取り立てて凄い美人というほどでもなく、さほど大きな印象は残さなかった。
しかし、下校時刻になって、彼女が校門を出ようとしたとき、「姫!」と叫んで駆け寄る冴えない中年男が現れた。
彼女はその男を何やら叱責して帰らせた。
その光景を、丁度帰ろうとしていたクラスの半数ぐらいの者達は目撃した。残りの者達も、目撃者から話を聞いた。
このご近所に住んでいて「姫」は無いだろう……、ということで付いたあだ名が「近所姫」だった。
近所姫は、クラスメートから「近所姫」とか「姫様」と呼ばれるごとに、「私は姫ではありません」と繰り返し丁寧に説明した。
僕は、その態度に気品があることを感じた。もしかしたら、本当に「姫」ではないのかと思ったこともある。しかし、どう見ても外見は日本人だ。言葉にも訛りはなく、自然な日本語を話す。ヨーロッパの某小国の姫……といった可能性はとても考えられない。かといって、皇族ということもあり得なかった。僕のおばあちゃんは大の皇族ファンだったおかげで、僕は全ての皇族の名前と顔を知っていたが、近所姫に当てはまる者は誰もいなかったのだ。
しかし、クラスの大多数は近所姫が「姫ではない」と否定すると逆に面白がって「姫、姫」と呼びかけた。それは、既に半分はいじめの領域に入っていたかもしれない。
僕は、止めに入りたかったが、自分もいじめられる可能性を考えると踏み切れなかった。
この状況に変化が訪れたのは、近所姫が転校してから一ヶ月ぐらいの時期だった。
僕ら仲の良い男子生徒数名がつるんで街を歩いていると、近所姫が男達に絡まれているのに遭遇した。
だが、様子がおかしかった。
近所姫に絡んでいる男達は、こう言っていたのだ。
「姫、ぜひ取材させてください。これはスクープです!」
僕らはあっけに取られた。
どう見ても、スクープ狙いのマスコミが近所姫を取材したがっているという感じだった。しかも、近所姫を姫と呼んでいる。
マスコミの男達は、僕らの存在に気付くと、見られるのはまずいと思ったのは、その場を立ち去った。
近所姫は、僕らに丁寧に頭を下げた。
「ありがとう。おかげで助かりました。でも、今日のことは忘れてください。私はただのあなた方のクラスメートです。よろしいですわね?」
にっこり微笑んだ近所姫は、ハッとするほと魅力的だった。
僕ら全員、このとき彼女の魔法に掛かったのかもしれない。
しかし、忘れろと言われて忘れられるわけがない。
僕らは、こっそり近所姫に注意を払うようになった。その結果、マスコミは繰り返し近所姫にアプローチを続けていることが分かった。そして、いつも近所姫が「もう私は姫ではありません」と断っていることも分かった。
そもそも「姫」とはいったい何を意味しているのだろうか?
その答は、マスコミ達に顔が知られていないクラスの仲間が探り当てた。
彼は、マスコミ達から「近所の人かい? このあたりに美味いラーメン屋はないか? 教えてくれたらおごるよ」と言われ、そのままホイホイとついていったという。
もちろん、彼はマスコミ達の顔を見ていないから、そういう人達が存在するという話は聞いていても、彼らがそうとは知らない。だが、彼らが近所姫のことをしつこく聞くので、彼らの正体はすぐに推測できたという。
そして、彼は気を利かせて逆にマスコミ達から情報を引き出した。
つまり、近所姫の正体とは何か……ということだ。
近所姫は、本当に王族の末裔だった。
歴史は、20世紀半ばまで遡る。
太平洋戦争中に、日本軍はアジアにも侵攻し、アジアの某小国を占領した。その国を統治するために、日本軍は傀儡政府を樹立することにした。そこで、某小国の前王朝の王族の末裔という男を擁立し、日本人の女性を妃として娶らせたという。
しかし、日本が太平洋戦争で無条件降伏したことで傀儡政権も崩壊、妃となった日本人女性は王女として生まれた娘と共に日本に帰国し、その後はもうただの一般人として暮らしたという。その後の消息は良く分かっていなかったのだが、やっと探り当てたのだというのだ。
それは、いかにも嘘くさい話に思えた。
アジア某小国など、聞いたこともなかった。歴史の教科書にも出てこない。
僕らは、「そんな国は存在しない」ということを確認するつもりで図書室に出向き、分厚い歴史事典を開いた。
その結果、僕らは驚愕することになる。
30年も前に出版された古い歴史事典に、アジア某小国のことはより詳細に記載されていたのだ。しかも、写真まで載っていた。王と妃とまだ幼い王女が写っていた。日本人ではない王も、人種的には日本人と近いようで、日本人と言って通る顔立ちをしていた。
つまり、全ては事実として筋が通るのだ。
日本人にしか見えない顔立ちであっても、アジア某小国の王族の末裔なら不思議ではない。国が倒れてそれ以後ずっと日本で暮らしているのなら、日本語が達者なのも良く分かる。そして、皇族ではないことも当たり前だ。
僕らは、これからどうするべきか、討論した。
その結果、ただの女の子として静かに暮らしていきたいと願う近所姫につきまとうマスコミは一方的に悪い……という結論に達した。
僕らは交代で近所姫をそれとなくガードすることに決めた。普段はおとなしく遠くから付いていくだけだが、マスコミが近づいたら追い払うのだ。
そのような行動が数回繰り返されると近所姫は僕らに気付いた。
「あなたがたはいったい何者なのですか?」
僕は咄嗟に答えた。
「自発的に姫をお守りする騎士団です」
「私を守っても、何も出ませんよ。確かに私の祖先は王であったかもしれませんが、私はただの女の子に過ぎません」
「騎士とは報酬を期待して行うものではありません」
「そうですか……。しかし、何度も助けてもらって、何もお礼をしないことはできません。ああ、そうですわ。確かに家に、騎士を任命する儀式の手順書があったはずです。せめて、その手順で皆さんを騎士に任命して差し上げましょう。もちろん、今はもう無い国の騎士など、何の意味もありませんが……」
だが、意味はあったのだ。
少なくとも僕らは興奮した。
騎士だぞ、騎士!
本物の騎士だ!
僕らは、近所姫の前に跪き、儀式用の斬れない剣を肩に当てられ、騎士の称号を授与された。
それから、僕らは公式に姫を守護する騎士団として活動を開始した。
もちろん、姫の平穏な日常を守るのが仕事だ。騎士団の度重なる排除活動により、マスコミは諦めて立ち去った。
僕らはジュースで祝杯を上げた。
だが、僕らは甘かった。騎士団として名乗りを上げての活動は目立ったのだ。誰かが面白がって、それをブログで取り上げると、即座に日本中の人から姫と騎士団は注目されるようになった。姫の正体に関する情報も、ひどくあっさりと流出した。家族や知人など、そこそこ広い範囲に知られていた情報なので、どこから流出したのかも定かではない。
そして、僕らの仕事は本当に忙しくなった。何しろ、ありとあらゆるマスコミが取材を申し入れてきたのだ。その一部は騎士団に対するものだったが、大半は姫に対するものだった。
僕らは、騎士団に対する取材申し込みは全面的に受け入れてマスコミを納得させつつ、姫に対する取材は一切シャットアウトする方針で挑んだ。
しかし、姫をマスコミから遠ざける作戦は裏目に出た。なかなか姿を見せない姫は、ミステリアスということで逆に注目度が高まってしまったのだ。その結果、姫の代理としてマスコミに露出する騎士団の出番も増えた。
姫と騎士団に関するグッズの商品化申し入れも激しくなり、結果として大量のお金が姫と騎士団に流れ込んできた。
その金で、僕らは高級な制服を仕立て、武器として使いものにならないサーベルを特注し、トップクラスのスタイリストを雇って身だしなみを整えた。
そして、僕らは実質的に男性グループ・アイドルと見なされる状況にまで達した。
つまり、僕らは女の子達からキャーキャー言われる美少年達と見なされるようになったのだ。
僕らは、喜んでその立場を受け入れ、ファンの女の子達をつまみ食いした。毎晩女の子を変えるのは全く問題なかった。何しろ、僕らの忠誠は「姫」ただ一人にあるのであって、その他の全て女性に本気になることはないのである。
だが僕らの絶頂は長くはなかった。
週刊誌に「姫は偽物」という暴露記事が載ったのだ。
その記事に、僕らは憤りを感じた。
姫も極めて不機嫌になっていて騎士団に命じた。「これを書いた大学教授とやらに全員で厳重に抗議に行っていらっしゃい」
「しかし、全員で行っては姫の身辺警護がおろそかになりますが……」
「心配には及びません。騎士の皆さんが抗議に行けば、マスコミは全員それに付いていきますよ。それより、こちらの本気を見せるためには、全員で行くのが重要です」
僕らは姫の命じるまま、騎士団全員で抗議に行った。
そして、大学教授の前で僕らは赤っ恥をかいた。アジア某小国の歴史を専門に研究していたその大学教授は、王族の子孫が持つ貴重な資料を拝借するために、ずっと子孫と連絡を取り続けていたという。そして、現在その子孫はイギリスに在住しており、イギリス人の血が入った子孫の娘は金髪だというのだ。更に次々と出てくる証拠の数々に僕らは打ちのめされた。学校の図書室の古い歴史事典しか根拠の持ち合わせのない僕らに勝てるはずはなかった。
とぼとぼと負け犬のように姫の自宅に戻った僕らは、更に驚愕することになった。
姫と騎士団が稼いだ膨大な資金ごと、姫は姿を消していたのだ。そう、僕らが自分で稼いだ僕らの取り分を含め、全てを持ち逃げされていたのだ。
僕らはやっと悟ることになった。このご近所に住んでいて「姫」などいるはずはなかったのだ。
(遠野秋彦・作 ©2007 TOHNO, Akihiko)
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